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コロナ禍だからこそスポーツで健康を!東京五輪にも参加したスポーツドクターが語る健康でいることの大切さとは?

最終更新日:2021年10月18日

布留 守敏 先生の独自インタビュー取材記事

〇病院名 : 布留クリニック
〇医師  : 布留 守敏 先生
〇アクセス: 寺庄駅出口から徒歩約8分(道案内)
甲南駅出口から徒歩約25分(道案内)
貴生川駅出口から車で約13分(道案内)
新名神甲南I.C.出口から車で約9分(道案内)
駐車場:30台(無料)
〇診療科 : 整形外科(スポーツドクター)、リウマチ科、内科、外科、皮膚科
〇経歴  : 平成10年 関西医科大学医学部卒業
平成10年玉造厚生年金病院整形外科勤務
平成10年京都大学医学部附属病院整形外科研修医
平成11年大津赤十字病院整形外科勤務
平成13年玉造厚生年金病院整形外科勤務
平成16年医療法人貴順会吉川病院整形外科医長
平成17年京都大学大学院医学研究科外科系専攻再生医科学研究所組織再生応用分野入学
平成21年京都大学大学院医学研究科外科系専攻再生医科学研究所組織再生応用分野修了
平成21年京都大学大学院医学研究科グローバルCOE研究員
平成22年公立甲賀病院組合公立甲賀病院整形外科医長
平成23年京都大学大学院医学研究科リウマチ性疾患制御学講座特定助教、京都大学医学部附属病院リウマチセンター勤務
平成29年医療法人社団布留クリニック 院長、理事長
平成30年甲賀湖南医師会 理事
滋賀県サッカー協会医事委員
平成31年滋賀県競技力向上対策本部医事委員
令和6年 滋賀県医師会理事
滋賀県サッカー協会医事委員長兼理事

松本志のぶアナウンサー(以下:松本アナ)

こんにちは、ドクターインタビューの時間です。今回のゲストは滋賀県甲賀市旧クリニック布留守敏ドクターです。布留ドクター今日はよろしくお願い致します。

布留守敏ドクター(以下:布留ドクター)

よろしくお願いします。

松本アナ

まず簡単ではございますがドクターの略歴をご紹介させていただきます。
1992年関西医科大学医学部を卒業された後、病院勤務を経て京都大学医学部附属病院で研修医を務められました。その後数々の病院で経験を積まれまして現在は日本整形外科学会専門医をはじめ日本スポーツ協会公認スポーツドクターなど様々な役職に就かれています。

東京2020オリンピック

松本アナ

布留ドクターは2020東京オリンピックでアスリートドクターを務められたそうですね?
何のスポーツを担当されたのでしょうか?

布留ドクター

カヌースプリントです。

松本アナ

カヌースプリント。カヌーの経験は?

布留ドクター

いや私はないんです。
滋賀県の競技力向上対策本部っていうのがございまして、普段はそこの医科学部門で、滋賀県出身の選手であったり国民スポーツ大会の帯同サポートをしています。
その中に大先輩のサカイダ先生っていう先生がいらっしゃいまして、その先生が東京2020大会の官能競技全般のAMSV(アスリートメディカルスーパーバイザー)という統括をされておられるんですが、その先生からお声がけいただき今回メディカルサポートで参加させていただきました。

松本アナ

今胸につけてらっしゃるバッジも?

布留ドクター

そうですね、カヌーのバッジになります。右側がピクトグラムでカヌースプリントのものになります。

松本アナ

これを期間中ずっと付けていらっしゃったんですね。今日はその時のプレートももってきてくださっている・・?

布留ドクター

そうですね、アスリートドクターということで活動させていただきました。

松本アナ

もう猛暑から、それからコロナ禍でもあるということで、とても気を使う大会だったと思います。本当に先生も大変でしたよね。
でもそうやってスポーツドクターをされていますけれども、スポーツドクターを目指すきっかけみたいなものは何かあったんでしょうか?

スポーツドクターになるきっかけ

布留ドクター

父親は消化器外科医をしていました。小さい頃から父の姿を見て医者になろうと志したわけなんです。
その後大学に入ってスキー部に入ることになったんです。競技スキーですけど、アルペンですね。スラローム、ジャイアントスラローム、スーパーG、ダウンヒル。それとあとクロスカントリー。
当時荻原選手とか非常に活躍されている時期で、すごいスキーブームの時期でしたので、僕スキーを全然やったことなかったんですけども(笑)

松本アナ

えっ!全然やったことなかったのにそんな本格的な方面に行かれたんですか?

布留ドクター

入学した初日でしたかね、その当時スキー部のキャプテンされていたフクジ先生という先生いらっしゃるんですけど、スキー部入ろうって誘われてそれで勢いで入っちゃったんです。

松本アナ

私、長野オリンピックもずっと取材をしていまして、とてつもなく過酷なスポーツであるという認識だったんですけど・・。

布留ドクター

僕も最初スキーやった時に「なんちゅうしんどいスポーツや」と思いましたけど、やってると結構楽しくなってきて。もちろん医学部の大会なんでレベルは低いんですけれど、結構メダルもらったりとかリレーで優勝したりとか、そういう経験もさせていただきました。それで競技をやってる中でコケて怪我をして、ちょっと肩胛骨にヒビが入ったりとか腓骨を骨折したりして・・。

松本アナ

ご自身でそういう経験をされたんですね。

布留ドクター

そうなんです。それで大学の整形外科の先生にお世話になって整形外科って面白そうだなと、そこから興味を持ち始めたんですね。自分が大学時代に競技をやっていたときにも、入賞や表彰式ですごく自分が輝いているような、そういう非常にいい瞬間も経験しました。一方でいろいろケガをされてる先輩とか後輩を見まして、人生でスポーツをして輝ける瞬間をサポートしたいと思ってですね、それがきっかけです。

松本アナ

本当にもうご自身の経験に基づいて、夢というか目指す先になったわけですね。

布留ドクター

そうですね。外科医を目指したのは父の影響で、大学に入ってからスポーツを介してスポーツドクターを目指すようになったということです。

松本アナ

先生は今滋賀県でクリニックの院長をされていますよね。先ほどお父様の影響というふうにもおっしゃっていましたけれども、開業のきっかけというのはどういったことだったんでしょう?

地域医療を頑張りたい

布留ドクター

地域医療で頑張ってみたいなというふうに思ったんです。
地元の近くに公立甲賀病院という病院がありまして、そこの病院に赴任することになったんです。ところが2011年に医局大学の方でリウマチセンターという、ちょっとリウマチに特化した研究室と部門を作ることになってですね、それで京都大学のイトウヒロム先生という先生に「一緒にせーへんか」と、またお声掛けいただいたんです。僕はたぶん性格上、人から頼まれるとついついやりたいと思っちゃうのかもしれませんけど(笑)

それで2011年から6年間京都大学のリウマチセンターの方でリウマチの治療と臨床研究をしていました。そうこうしているうちに父親が80歳を超えてですね、クリニックの方も毎日診療できない状態になってきまして、やっぱりちょっと実家の方も心配だということでそれで6年間を経た後、父の後を継いで医院を継承しました。

松本アナ

おいくつのときですか?

布留ドクター

43歳のときですね。4年前になります。

松本アナ

お父さんから何か言われたこと、引き継いだ信念みたいなものはありますか?

父の教え

布留ドクター

とにかく「慌てるな」と、「落ち着いてしなさい」と。慌てはあかんというふうに昔から言われてました。急がないとアカン時は一呼吸いれて一瞬じっくり考えて物事をするように心がけています

松本アナ

なるほど。
もうひとつ、メディカルフィットネスという施設も運営されているんですか?

メディカルフィットネスの運営

布留ドクター

メディカルフィットネスというのは、要は医療従事者が関与するフィットネスでして、42条施設(※疾病予防のために有酸素運動を行わせる施設)と呼ばれる疾病予防施設というものにあたります。
実はこのクリニックを継承したときに私が掲げたのが「Love your Life and Health」という、要はその人生を患者さんにまず楽しんでほしいと。でもその人生を楽しむには、やっぱり健康でないとなかなか楽しめない。とにかく自分の人生と健康を愛して、健康になって人生を楽しんでいただきたいというのをひとつの目標と言いますか、掲げて開業したんですけれども。

病気のある人はもちろんクリニックに来ていただけるんですけれども、その病気のなる前の直前の方といいますか。ご自身で何か運動されている方はいいんですけれどもやはり、なかなかされていない方いっぱいいらっしゃいますので、そういった方々に来ていただいて健康になっていただきたいですね。もちろんそういう方だけでなくて実際に病気に思っていらっしゃる方も、我々医者としての目で個人個人に個別にプログラムを作って、それで運動を実践していただくということをやっております。

このコロナ禍で非常に「体重が増えた」「血圧が上がった」「血糖値が上がった」っていっぱい見たんですよね。実はこのメディカルフィットネス2021年4月にオープンしたんですけれども、時期としては最悪だと思ったんですが、ただやはりコロナ禍だからこそ健康が大事かなと思いましたので、それでもうこれ行くしかないなと思ってオープンしました。

松本アナ

そうだったんですね。
人生100年時代、健康寿命をどう伸ばすかっていうのは本当に私たちの課題だと思うんですけれども、最後に布留ドクターの夢を聞かせていただけますか?

布留ドクターが目指す未来

布留ドクター

やはりまた地域医療を通じて地域の患者さんにとにかく健康になっていただきたい。スポーツっていうのはそれのやはり大事な要素だと思っています。趣味レベルのスポーツからアスリートまで広く楽しめるものですし、そういった方々をサポートすることで、とにかくみなさんに健康になっていただくそれに向かって突き進みたいなというふうに思っております。

松本アナ

スポーツドクターとなりますと直接見ていただくっていうことの方が大きいのかなと思うのですけれども、オンライン診療での可能性というのはどんなものがありますでしょうか?

布留ドクター

オンライン診療の方も力を入れようと思っています。これから5年10年後ですね、オンライン診療がある程度増えてくると思います。ただオンライン診療所のは難しいところも実際ありまして、今言って頂いたように直に見れないところが難しい問題だと思っております。しかし画面を通じていろいろな症状を聞いたり診させていただくことでわかることもあると思いますし、またオンラインでリハビリをしたりとか、実はそういった取り組みも当クリニックで開始しております。これからもうちょっと技術的な面の革新というのは必要になるかもしれませんが十分期待できるんじゃないかなと思っています

松本アナ

ありがとうございました。今回はスポーツの視点から地域の健康と医療を守る、布留守敏 ドクターにお話を伺いました。布留ドクター、ありがとうございましたました。

布留ドクター

ありがとうございました。


インタビュアー

松本志のぶ

静岡県浜松市出身。上智大学外国語学部卒業後、日本テレビに入社。「24時間テレビ」総合司会、「行列のできる法律相談所」レギュラーMCなどを務め、報道・情報・ニュース・バラエティ各種番組で活躍。2009年よりフリーアナウンサーとして、TBS「教科書にのせたい!」レギュラーMCなども務め、また、テレビだけでなく、報知新聞「報知映画賞」選考委員や、クラシックコンサートの司会、子どものための読み聞かせコンサートでの朗読など、活動の場を広げている。